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    • 2014.02.04 Tuesday
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    BSプレミアム『さまよえる魂の行方 〜心霊現象〜』

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      幽霊・生まれ変わり・透視・テレパシー‥‥。こういった超常現象は現代科学では説明できないという理由で,一般的には“オカルト”と見られ,真面目に取り組んでいる人は変人扱いされているようです。

      何が真実で何が虚構なのかに興味のあった私は,若い時分,この手の話に没頭した記憶があります。1970年代の頃には,宮城音弥『神秘の世界』など,真面目な研究書を読み漁り,あれこれ真剣に思考を巡らしておりました。

      ちなみに宮城音弥とは当時の心理学の第1人者で,1960年代から,岩波新書に「超心理学」について書き,死後の世界超能力睡眠学習手相についても多くの著書を著しています。彼が一生の仕事として心理学を選んだ動機は,夢枕に立つという経験や霊現象テレパシー死後の世界への強い関心,更には人間とは何か,なぜ生きているのか,という疑問であったといいます。

      そんな私でしたが,もちろん科学的・経験的に納得できたわけでもなく,現代科学の及ばない“未知の領域”かもしれないな,などと思ったりしたものでした。

      しかし現在,世界では,これらを科学的に究明しようという試みが急速に進んでいます。
      アメリカ,イギリスなど,世界中の科学者たちがアプローチ。その結果,眉唾であると実証されたものや,科学的に解明できたものが少なくありません。しかし一方で,依然として現代科学では説明不可能な事実が残存することも,明らかになりつつあります。

      どこまでが科学で解明でき,どこからが謎の領域なのか。この問題を最近,NHKのBSプレミアムが,真っ向から真面目に採り上げました。第1集は さまよえる魂の行方 〜心霊現象〜と題して1月11日に,第2集は『秘められた未知のパワー 〜超能力〜』と題して,1月18日に放映されました。

      そんなこんなで,私にとっては興味津津。実に見応えのある番組でした。今回と次回に分けて,その内容を紹介いたします。

      【第1集 さまよえる魂の行方】

      今夏,イギリスで行われた幽霊城の大規模調査。電磁波低周波音測定器などの最新機器が異常な数値を捉えた。その分析から,心霊現象の意外な正体が浮かび上がってきた。更に,自分が生まれる前の前世の記憶を突然話し出す子どもたち。調査の結果,その内容は紛れもない事実だったことが判明。この生まれ語り現象とはいったい何なのか。死後の世界や魂の謎の解明を目指す科学者たちの姿を追った迫真のドキュメンタリーであります。

      (1)心霊現象

      イギリスにはケンブリッジ大学の研究者が設立したSPR(心霊研究協会という組織があって,名だたる科学者が心霊現象の科学的解析を行っている。

      心霊現象(幽霊人魂異常音)がしばしば起きると言われているイギリスのマーガム城(幽霊城)で,科学者チームが,18種類の最新機器を装備して2日間にわたって調査。その結果,確かに冷気幽霊と思われるものが感じられ,異常な電磁波の存在も確認された。その分析結果から,心霊現象の正体は,一種の脳の錯覚現象であることが明らかになった。

      温度変化がない(温度計で確認)のに,なぜ調査者は冷気を感じたか

      〔推定〕 動物には,恐怖を感じると温度を下げて動かなくなることで危機から逃れようとする本能が備わっている。鼠の実験では蛇の臭いをかがすと体温が3度程度低下し,身体が動かなくなった。
      脳が,生存本能から知らず知らずのうちに恐怖を感じて,体に信号を送って体温を下げていたのではないか。

      なぜ男の幽霊がいたと多くの人が証言するのか


      〔推定〕 城は建設から1世紀以上経っており,いたるところにシミや漆喰の崩壊が発生している。人間は本能的に人の顔を見て相手が敵意があるかないかを判断する性質があるパレイドリア効果という)。安全かどうかは顔色で確認するからシミ等を人の顔と誤認したのではないか。ちなみにパレイドリア効果とは脳の錯覚の一種で,人類が進化の中で獲得した能力だという。

      不気味な光はなぜ発生したのか

      〔推定〕 強い電磁波が発生するとプラズマ(オレンジ色の不気味な光)ができるが,0.5秒程度で消える。しかし強い電磁波は脳の視覚野を活性化させ,プラズマが消えた後も幻覚を見続ける。これが火の玉の正体。(ただしなぜ電磁波が発生したかは原因不明)。よく似た幻覚は,鬱病患者にもよく見られるという。

      (2)臨死体験

      人は死に臨むと,暗いトンネルを抜けると明るい花園があり,死去した父母や兄弟がいて自分を誘っているといった,臨死体験をする。なぜか

      〔推定〕 鼠の実験では,心臓が停止しても脳は約30秒間活発に動いており,すぐには死なない。人間も同じで,その間にを見る。つまり,脳が,過去の思い出や人生の中で実在した人達の情報を夢の形でもたらしたもので,死後の世界があるわけではない。空軍のパイロットの重力負荷の訓練では,10G程度の重力が加わると血液が足に集中して頭は低酸素状態になり意識を失う。この時パイロットは臨死体験と同様の夢を見るGショック」)という

      つまり,
      臨死体験とGショックは同じ現象。脳が低酸素状態になると,人間は死の恐怖から本能的に逃れるために,穏やかな死を受け入れようとするのではないか。

      過労で倒れ意識を失い,自分が倒れた自分自身を5〜6mも上方から眺めているなどという「体脱体験」が起きるのはなぜか

      〔推定〕 通常なら我々の脳が保有しているGPS機能が自動的に作動して,位置情報を確認している。しかし,何らかの契機で脳のデータ処理ミスが起こると,別の場所に自分の存在を錯覚してしまうのではないか。

      (3)生まれ変わり

      幼児期には,自分は〇〇の生まれ変わりで,どこに住みどのような生活をしていたかを詳しく話すが,6歳を過ぎる頃からその記憶を失う。該当する幼児を見つけ,科学者が詳細に調査した結果,その子が話した内容は偶然とは思われないほど一致した。なぜこんなことが起きるのか

      〔推定A〕 親やテレビで物語等を聞いていると,子供はそれが実際にあったことと錯覚する。一方親はそうしたことを忘れてしまうが,子供は事実と思って「生まれ変わり」の話をするのではないか。

      〔推定B〕 この世界には素粒子より小さな意識因子(仏教の一派が説く「極微」?「阿頼耶識」?)というものがあり,人が死ぬとその意識因子が浮遊する。それ幼児に取り込まれると「生まれ変わり」現象が起きる。物理世界とは別の空間に,物理法則を超える何らかの意識の要素が存在するのかもしれない。

      〔推定A〕 だと,どうも説得力が弱い。また〔推定B〕は,にわかに信じ難い。このような前世の記憶生まれ変わりについては,今日でも脳科学だけではどうしても説明がつかなのだという。

      超常現象と科学との相克は,今なお続いており,多くの不思議な現象が科学で解明されてきました。また現時点で不明であっても,いずれ解明できる可能性は高い,と私は,思っています。

      それでもどうしても説明不可能な場合があるとすれば,これはもう,今までの知識・常識とは異なる新たな「科学理論」が必要だということ。そんな意味で,「生まれ変わり」の問題は,当分は,決着しそうにはないでしょうね。


      次回は【第2集 秘められた未知のパワー】


       


      東京都知事選 原発問題は重要な争点

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        ご存知のように東京都知事選に立候補した細川護熙元首相は「脱原発」を訴え,小泉純一郎元首相がこれにを全面的に支援しています。

        これに対して安倍政権は,エネルギー問題は国策だから,自治体の首長選で争点にすべきではない,声を上げています。

        私たちは,どのように考えればよいのでしょうか。

        確かにエネルギー政策は国が主導してきました。増大する電力需要をまかなうため,過疎化に悩む自治体に原発の設置を引き受けさせ,大量の電気を全国に送電。都市豊富な電力による成長を,地方お金と雇用を手に入れ,互いに依存してきたわけです。

        とりわけ人口1200万人をも擁する首都東京は,最大の電力消費地として多大な恩恵を受けてきました。それもあってか,東京電力に対しては大口株主として税金を使って多大な資本提供もしています。

        しかし,その国策がいかに脆く,危ういものであったかは,福島の原発事故によって,まざまざと知ることができました。

        当時,最悪事態に至れば首都圏がある意味消失し,日本が機能不全になる寸前までいっていたことを,私たちは,思い起こすべきでしょう。しかも,福島第1原発でつくられた電力は,東京を中心とした首都圏のために存在していたと言っても過言ではありません。東京のみならず,近隣の自治体や都市も「原発は安全」という神話に乗った代償は大きく,今も放射線汚染の危険に曝されています。

        このように考えると,あの原発事故そして原発問題は単純に「地方の選挙」とは割り切れない,まさに東京の問題そのもの。都知事選の争点でないとは,決して言えません。極めて重要な争点の1つと思われます。逆に,争点から外そうとする考えこそ,見識を疑う発言と言ってよいでしょうね。


        北陸路における木曽義仲の足跡(5)

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          石川県白山市松任地区老人クラブ連合会「ことぶき大学」つばたふるさと探偵団」桑江朝英さんの講演『木曽義仲と巴御前』があり,そのサポートをさせていただきました。

          その際に,この講演の“備忘録”を兼ねて,現時点で私なりに理解している「北陸路における木曽義仲の足跡」
          についてとりまとめてみようと思い立ちました『源平盛衰記』をベースに,できる限り“史実”に基づいて客観的に記すという方針。

          一度に全部を書き記すのは物理的に不可能なので,全体を7章に分け,第1回は大筋を概観する「予告編」。第2回(前回)は,第1章「安元事件(治承・寿永の内乱序曲)」
          。第3回・4回では,第2章「義仲の挙兵と北陸路での前哨戦」(その1・その2)を採り上げました。

          今回は,第3章「俱利伽羅峠の合戦」(その1)。いよいよ舞台は最大の山場にさしかかります。



          【3.俱利伽羅峠の合戦(その1)

          (1)平氏軍の動向

          加賀国内に進駐した平氏の義仲追討軍は,加賀国府と加賀武士の館周辺で,軍を整え,新たな進軍に備えます。食糧などの徴発には加賀国府に残っている地方官人を使役したと思われます。加賀武士が国内に点在している東大寺などの荘園の荘官にもなっていることから,荘園からも徴発したと考えられます。いずれにしろ,燧城合戦に際して加賀武士たちに兵糧を提供させられた加賀の民は,追い打ちをかけるように追討軍からも奪い取られ,困窮したことでしょう。

          彼ら加賀の民たちは,きらびやかな甲冑に身を包んだ大将や雲霞のような兵の大軍を目の当たりにして,度肝を抜かれたに違いありません。当然,これまで在地を支配してきた加賀武士の滅亡を確信したはずです。

          総大将の三位中将・平維盛は,北国に詳しい平泉寺斎明の建策を受け入れ,10万予騎(これが誇張であることについては既述)の軍勢を3隊に分けます。大手7万予騎,能登国志雄方面3万予騎,そして越中への先遣隊5千予騎。先遣隊を前線に遣し,地の利を得てからその後に本隊が続く。圧倒的な軍事力を誇示しつつ,能登から越中に進軍するという作戦ですから,これはこれで軍略にかなった陣立と言えるでしょう。

          (2)般若野での前哨戦

          一方,第1次安宅合戦で惨敗した源氏方は,その直後,越後の義仲に向けて敗北の報告と援軍を要請する早馬を飛ばします。越後国府(現在の上越市)にあってこれを受けた義仲は,すぐさま義仲四天王の一人今井兼平に6千の兵を与え,越中に進発させます。ほどなく国境の親不知を越え越中に入国した今井勢は,一気に富山平野を駆け抜け,現在の富山市へ。市街地の西に広がる御服山(呉羽山)に布陣します。

          寿永2(1183)年5月8日,越中前司平盛俊が率いる平氏軍の先遣隊5千は,加賀より俱利伽羅峠を越えて越中へ入り,丘陵地の般若野(高岡市南部の郊外)に到着。ここで今井兼平軍が呉羽山を占領していることを知り,その日は敢えてそれ以上の進軍を行わず,般若野に留まってここに布陣。

          対する兼平軍は,呉羽山を出て般若野を目指しており,この日の夕刻,平氏軍が般若野から前進しないことを察知し,敵の意表をつく夜襲を決断。翌5月9日明け方,兼平軍は闇にまぎれて敵へ接近し,攻撃を開始。ここに「般若野の戦い」の幕が切って落とされました。

          最初は,型通りの小競り合い。しかし,不利な戦いを何度も戦い抜いてきた源氏軍と,小勢の北国武士団としか戦ったことのない平氏軍とでは,勢いの差は歴然。午後になると平氏軍は戦況不利に陥り,夕方頃には押し切られて小矢部川まで退却。ここも支えきれず,更に俱利伽羅峠を越えて加賀に逃げ戻ります。義仲率いる5万(この数字も誇張であることは既述)の本隊が着々と越中に駒を進め,この日には越中六動寺(現在の新湊市六渡寺)にまで達しており,この知らせを聞いた平氏軍が全滅を回避しようと加賀に退いたとも考えられます。

          そして5月10日,義仲の本隊が般若野に到着し,ここで合流。この戦いの場と伝えられる一帯は,弓の清水」(ゆみのしょうず)といわれ,今ではすっかり,義仲ゆかりの名所となっています。

          いずれにせよ,この般若野の戦いでは源氏勢が完勝。天王山である「俱利伽羅峠の合戦」の前哨戦で勝利した意義は大きく,義仲に与した北国武士の士気は弥が上にも高まったと思われます。ちなみに,
          ここで義仲本隊に合流した北国武士は『源平盛衰記』によれば,越前の本庄,樋口,斎藤の一族,加賀の林,冨樫,井家,津播多,能登の土田,関,日置,越中の野尻,河上,石黒,宮崎‥‥の面々。彼らは自分たちの運命を左右する,来たるべき大合戦を前に,勇み立って義仲の陣に馳せ参じたことでしょう。

          (3)いざ俱利伽羅へ(義仲軍団の進軍)

          越中国府(現在の高岡市伏木古国府)に集結した義仲本隊は,北国の霊峰として名高い白山妙理権現願文をしたため,全軍の士気を鼓舞します。地理的にはむしろ立山の方が近いのですが,当時は白山本宮の「安元事件」もあり,白山の名は都にも知られていたのでしょう。

          越中国府を後にした義仲は,5月10日に般若野で兼平と合流。御河端(比定地は不明)に陣を敷き,ここで「いくさ評定」を行います。

          これに先立ち,加賀の金沢付近にあった平氏軍本隊は,義仲の越中到着の報に接し,軍を再編成。敵を真正面に臨む大手軍には,大将軍・平維盛,左馬頭・行盛,薩摩守・忠度。侍大将に上総判官・藤原忠綱,河内判官・秊国,高橋判官・長綱。そして越中権守・範高が5千余騎を率いて先駆け。総勢7万余騎が俱利伽羅を目指して北上。また搦手軍には,大将軍・平道盛,三河守・知度。侍大将に越中前司・盛俊,上総介・藤原忠清,飛騨守・景家。以下3万余騎が口能登の志雄山へ向けて進発。

          御河端におけるいくさ評定の場では,越中の宮崎佐美ノ太郎の言により,俱利伽羅峠(砺波山)の越中側登り口である黒坂口の重要性を知った義仲は,ここに陣を構えることを決断。

          平範高率いる先駆け部隊が砺波山を越えて黒坂口・柳原を目指しているとの情報に,義仲は,平地での合戦では利が薄い。平氏を山に押し込めておいて,日が暮れてから俱利伽羅谷に追い落とす。平氏軍は山の上あたりで休息するであろうから,搦手軍を迂回させて背後を突く,という計略を語ります。

          そして急ぎ,旗指物を持つ武者を黒坂口に走らせ,その場に源氏の白旗を木に掲げます。また,日宮林信濃星名党の兵を遣わし,峠から望める位置に源氏の白旗30旗を打ち立ててなびかせます。これを見た平氏軍の先鋒は,源氏軍は地理に明るく先陣がここまで来ていると推量し,ここは無理をせず俱利伽羅峠で休息しようと判断。その結果,義仲の目論見通り,平氏の主力・本隊は山頂付近の猿ヶ馬場を中心に陣を構えることになります。

          両軍の激突は,刻一刻と迫っています。


          次回,第3章「俱利伽羅峠の合戦」(その2)でに続く






          荒 了寛さんの「絵説法カレンダー」

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            荒 了寛(あら りょうかん)という,国際的にも著名な天台宗のお坊さんがいます。

            1928年福島県生まれ。仙台市の仙岳院や清浄光院,福島県の大福寺などの住職を歴任。現在は,天台宗ハワイ開教総長としてハワイに在住し,
            ハワイ及びアメリカ本土で布教活動に従事しています。

            同時に,
            ハワイ美術院,ハワイ学院日本語学校などを設立し,日本文化を紹介・普及。また,独特の画法による仏画も描き,サンフランシスコボストンニューヨークなどで個展を開催。日本各地でも,毎年個展を続けています。

            著書は
            「慈しみと悲しみ「人生の要領の悪い人へ」 「画文集・慈しみと悲しみの仏たち」「アメリカ仏教の夢」 「ハワイ日系米兵,私たちは何と戦ったのか」 「娑婆を読む」生きるとはなぁ」「いい加減を知る」「生きよ まず 生きよ」など,多数。

            私が勝手に思うに,なんといってもその代表作は『荒 了寛カレンダー』おそらく誰もが,一度はその楽しい仏画に出合った経験があるのではないでしようか。

            ご縁があったのでしょう。新年早々,初詣で訪れた寺院で平成26年度版のカレンダーを見つけました。そのユーモアに溢れる洒脱な絵と,人間の機微をついた見事な“寸鉄”短くて人の胸をつく語句)‥‥。目にした瞬間,言葉の一つひとつが
            ストンと腑に落ちて,思わずウーン,その通りだ!!」と唸ってしまいました。

            家の茶の間にでも飾ろうと,さっそく買い求めました。

            カレンダーですので,毎月1枚ずつ破り捨てることになります。それではもったいない。そこで写真に撮り,本ブログに記録することにした次第であります。

            以下に1年間分をそっくり掲載しますので,その含蓄に富む絵説法をごゆっくりお楽しみ下さい。無粋な私が勝手にコメントを加えると,
            了寛さんの伝えたい真意・ニュアンスが曇ってしまいそうですので,ここはすべて,読まれる方の感性に委ねることといたします。

            【表紙】



            【1月】



            【2月】



            【3月】




            【4月】



            【5月】



            【6月】




            【7月】



            【8月】



            【9月】




            【10月】




            【11月】




            【12月】





            以上。この人間観察の鋭さ。まさに“人生の達人”の金言といっていいでしょうね。



            米国は何故安倍首相の靖国参拝に失望したのか

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              つい12月28日の本ブログ『安倍首相の靖国神社参拝の波紋』で,私は,次のように書きました。

              総理を支える自民党内部からも,参拝に強い不快感を示したアメリカとの関係悪化を懸念する声が出ています。「今回のことで中国・韓国よりもアメリカとの関係が悪化することが心配だ」と(自民・派閥幹部)。アメリカ側の「失望している」という反応がどこまで本気なのか,政府与党でさえその真意をつかみきれていなようです。‥‥と。

              何しろ,同盟国のトップの行動に対して,公式に「失望している」と述べるなどとは,前代未聞。これまでに聞いたことがありません。どうみても,単なる“言葉のあや”ではなく,双方の思惑に大きなズレがあるとみなければならないでしょう。

              ある意味ではこのことが,日米関係をはじめ,今後のわが国の国際社会における役割を考えると,極めて重大な問題を孕んでいるように思われてなりません。

              もともと自民党政権というのは,基本的にアメリカの意向を尊重(服従?)してきたはず。それがどうしてこんな齟齬(ズレ)を生じてしまったのか。新聞・テレビなどでも踏み込んだ報道・解説がなく,その背景がよく理解できませんでした。

              田中良紹というTBSのアナウンサー・記者出身の政治評論家がいます。打算感情に捉われることなく,非常に冷徹にものごとの本質を洞察し,政治課題や時事問題を客観的な立場から論じている方で,私が最も信頼している識者の一人です。

              その田中良紹さんがこの問題に関して,自身のブログで,噛んで含めるように分析しておられました。

              もとより,「国家のリーダーが戦没者の霊に祈りを捧げる」といった単純な話ではなく,戦後史の真実アメリカの本音を熟知しないと理解できないこと。やはり本質は,そうであったのか‥‥。合理的で説得力のある論旨を読み,大いに納得した次第です。

              結局,アメリカと本気で事を構える覚悟など毛頭ない,無知な安倍首相が,私的な感情の赴くままに,稚拙で戦略性のない行動に走ってしまい,アメリカが激怒した,というのが事の真相のようです。

              以下に,全文を引用いたします。


              安倍総理の靖国参拝の報を聞いて真っ先に思ったのは、「アメリカと事を構えるつもりなのか」という事だった。その覚悟を決めたと言うのなら、安倍政権を「対米従属」と見てきた私の見方を変更しなければならない。そうではなくアメリカにも理解されるはだと考えているのなら、アメリカに対する理解がまるで私とは異なる。

              国家のリーダーが国家のために犠牲となった戦没者に敬意を表明するのは当然のことである。誰もそのことに異を唱えている訳ではない。しかし靖国参拝が問題とされるのは東京裁判戦争犯罪人とされた人物が祀られているからである。誰が裁いたかと言えばアメリカを中心とする連合国である。

              日本と同様に敗戦国となったドイツは日本より先にニュールンベルグ裁判で戦争犯罪を裁かれた。戦勝国が敗者の戦争犯罪を裁く裁判は、勝者の犯罪をすべて免責にするという一方的なもので、裁判官はすべて連合国から出された。そうした事への批判を考慮してか、ニュールンベルグに続く東京裁判では中立国であるインドからも判事が選ばれた。

              そのパール判事が有罪判決に異を唱える意見書を提出した事から、日本では東京裁判を否定する議論が出てきた。東京裁判を認める事は「自虐史観」であるという論理である。しかし敗戦国が何を言おうが第二次世界大戦後の世界は戦勝国の論理で作られた

              例えば国連である。世界の安全保障問題を解決するために作られた国連の名称は「連合国」であり、第二次大戦の戦勝国が世界の安全保障問題を解決する仕組になっている。そして1952年に日本が占領支配から独立を回復する時のサンフランシスコ平和条約には日本が東京裁判を受諾する旨が明記された。それから逸脱する事は許さないというのがアメリカの論理である。

              ところが一方で冷戦の始まりはアメリカに日本を「反共の防波堤」に利用する事を考えさせた。日本から軍国主義を一掃しアメリカに逆らえない国家にするという方針と、日本を再軍備させアメリカの軍事戦略に従わせようとする方針が共存する事になる。その結果、日本国内の左派勢力は前者の立場に乗り、右派は後者の立場に乗る事になった。

              こうして日本の保守・革新は対立するが、アメリカから見ればアメリカの国益に適えばどちらでも良のである。アメリカはその時々の都合で二つの路線を使い分ける。双方に共通するのは日本を従属させ自立させない方針である。そしてそれは日本の領土に永遠に米軍を駐留させる事を目的にしている。

              最近、中国防空識別圏を設定した事が問題になっているが、日本が日本独自の防空識別圏を設定した事など一度もない。設定したのはアメリカであり、日本はそれを引き継いだに過ぎない。しかも首都東京の上空には米軍が使用するための「横田空域」があり、日本の飛行機は東京上空を自由に飛ぶことが出来ない。日本が中国の防空識別圏設定に居丈高になる様はアメリカから見ればお笑なのである。

              第二次世界大戦を正義の戦争と考えるアメリカは東京裁判で戦争犯罪人として裁いた人物を祀る神社を認める事は出来ない。それを認めれば戦後の国際社会の仕組みはことごとく崩壊する。国家のリーダーが戦没者の霊に祈りをささげる話とは次元が異なるのである。

              アメリカのアーリントン墓地と同様に誰でもが参拝できる施設は千鳥ヶ淵の戦没者墓苑である事を10月に来日したケリー国務長官ヘーゲル国防長官が身をもって示した。それにも拘らず安倍総理は靖国神社を参拝した。こういう時にアメリカ人は何と言うか「それは戦争に勝ってからやれ」と言うだろうと私は思う。

              負けたのに負けを認めたくないならもう一度戦争をやろうじゃないか。それで日本が勝てば何をやっても良いが、負けたのに文句を言うのは許せないとアメリカ人なら考えるのである。そういうアメリカを私は見てきた。例えば宮沢政権時代、宮沢総理がアメリカのマネー資本主義を批判し「額に汗してものを造ることが大事だ」と国会で発言した。

              それを日本の新聞が面白おかしく「アメリカ人は怠け者」という見出しで報じた。それにアメリカは激怒した。アメリカ議会では議員たちが口々に「戦争に勝ったのはどっちだ」と言った。「怠け者が戦争に勝てるのか」、「優秀な兵器を作れたのはどっちだ」、「日本は戦争に負けた事を忘れたのか」に続いて、最後に重鎮と言われる議員が「もう一度日本に原爆を落とすしかない」と真顔で言った。

              真珠湾攻撃から50年の1991年12月には、アメリカの新聞とテレビが盛んに日本の「奇襲攻撃」の卑劣さと恐ろしさを特集して報道した。それは日本経済バッシングが目的だったが、その時に訪米した中国の江沢民国家主席ブッシュ(父)大統領との間で「我々は共に日本と戦った戦勝国である」という立場を強調した。第二次大戦の記憶は簡単には消せないと思ったものである。

              「偽りの民主主義」にも書いたが、日本人は昭和20年の8月15日で戦争は終わったと思っている。しかしアメリカは日本との戦争は永遠に続と考えている。ドイツと違い日本はアメリカにとって理解不能な国家であり、日本民族をアメリカ流に洗脳し続けなければアメリカの安全は保てないアメリカは考えているのである。その事を日本人は全く理解していない

              戦後の歴代政権は戦後構造からの脱却を模索し続けてきた。アメリカから狡猾・巧妙と思われる手法でそれを続けてきた。安倍総理が同じような文脈で靖国参拝を実行したとするならば、それはあまりにも稚拙戦略性がない。東京裁判を主導したアメリカと「事を構える」本気度も見えない。中途半端なやり方で事を運べばむしろ「対米従属」を強めさせられるだの結果になる。かつて「保守化と言うより従属化」というブログを書いたが、「保守化に見せてますます従属化」という事になるのではないか。



               

              「限界集落」神子原(羽咋市)を甦らせたスーパー公務員

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                「いつやるの。今でしょ!」のフレーズで大ブレイクした林修さん。1月2日に,そんな彼が進行する『林先生の痛快!生きざま大辞典』というTBS系のテレビ番組がありました。

                人生のピンチ・逆境を乗り越え成功を収めた人たちの生き様を,実例をもとに紹介。手本となるような生き方,ターニングポイントなど,賢く生きるためのヒントを解説していくという趣向。

                ここで紹介された人物は,「世界中から悪いウワサをたてられた養殖業者」「突然勝てなくなった天才棋士「住民から総スカンを食らった公務員」日本五輪史上,最も多くのメダルを獲得した男」「3度の左遷,転職失敗でどん底に落ちた銀行員」「世間から全否定された小説家‥‥と,まさに多士済々。

                いずれも教訓に富んだ素晴らしい話でしたが,なんと石川県羽咋市神子原という限界集落」を,一躍ブランド米によって甦らせたスーパー公務員・高野誠鮮(じようせん)さんが採り上げられていたのにびっくり。題して,『住民から総スカンを食らった公務員』

                石川県に居住する人なら誰でもご存知だろうとは思いますが,その型破な挑戦と快挙は,何度聞いても胸が躍ります。改めて振り返ってみたいと思います。

                高野誠鮮さんは,昭和30年羽咋市生まれの日蓮宗寺院の僧侶。58歳。羽咋市役所で課長補佐を務めている現役の公務員。また科学ジャーナリストでもあり,あちこちの大学講師も歴任しています。大学在学時に雑誌のライターテレビの構成作家の仕事を経験し,その後「11PM」「プレステージ」などの番組も手掛けています。

                どんな凄いことをやってのけたのか。

                舞台は石川県羽咋市。人口3万に満たない小さな地方都市です。市内にある神子原(みこはら)地区は農村集落で,人口は527人。高齢化率が57%にも達し,住民の平均年間所得はわずか87万円。過半数が65歳以上で,放置すれば消滅の危機にある集落を「限界集落」といいますが,まさに典型的な限界集落。

                そんな集落にある実家(日蓮宗の寺院)に後継ぎのために帰ってきたのが,当時28歳の高野さん。
                市役所所が臨時職員を募集していたので,背に腹は代えられず就職。給料は手取りで6万8000円

                しかし,ずけずけものを言う態度が上司から疎まれて,48歳の時に農林水産課へ左遷?されます。ここで,「過疎集落の活性化」を掲げて当選した新市長から
                過疎集落の立て直し任されます。予算は年間60万円

                高野さんは,その任務を受けるにあたって,一つだけ市長に条件を出します「一切の稟議を廃し,自分自身の決断で進めさせて欲しい」というもの。何事も稟議で決める行政のしきたりを無視する非常識な要求。しかし,市長はその条件を受け入れました。

                まず
                ,村の若返りを図るために,村への移住者を募集。空家になっている農家を希望者に安く貸します。しかも,お願いして来てもらうのではなく,「村民が面接試験を行い,それに合格した場合にのみを受け入れる」という戦略。結果的に応募者が殺到し,村民の厳しい面接をパスして移植した人達の定住率は100%となったという。

                次に
                米の直販。この地では,寒暖の差と湧水によりとても美味しいコシヒカリ(「全国の美味しいコメ ベスト10」の3位)を生産しているものの,総量がJA買い取りのため売値は安い。そこでJAに納めず,村民の手で「神子原米」として直販することを提案。しかし村民は,「素人が何がわかる。できるものなら自分でやれ」と猛反発。

                そのうち
                ,3軒の農家協力してくれて神子原米を売り始めたのが2004年。その年は全く売れなかったが,それにもめげず,天皇・皇后陛下に献上できないかと宮内庁に当たったり,アメリカは“米国”と書くから,アメリカ大統領(ブッシュ)にもトライ。結果はNG。

                更に
                ,「神子原村」(the hilands where the son of God dwells)という地名にあやかり,ローマ法王に直接「神子原米」を食べてもらえないか,と手紙を書くこともやります。神子原は“キリストが住まう高原”だ,との強引な解釈を付けて。

                半ばあきらめかけていた半年後,突然バチカン大使館から電話が入ります。その回答たるや,実に“粋な”ものでありました。

                あなた方の神子原は500人の小さな集落ですね。私たちバチカンは800人足らずの世界一小さな国です。小さな村から小さな国への架け橋を,喜んでさせていただきます。」

                かく
                して,神子原米をローマ法王に献上することが決定したのです。

                この話がニュースとして大きく報道されるや,「神子原米」は“ローマ法王に献上された米”として一躍有名ブランドに。当時はまだ取扱い農家が少ないので,あっという間に高値で売り切れてしまったといいます。

                ここでも,高野さんは手腕を発揮。消費者から問い合わせの電話が入るたびに,「まだ〇〇デパートになら,在庫が有るかも‥‥」と応えたからたまりません。その〇〇デパートからじゃんじゃん注文が入ってきて,自分から営業努力することなく,翌年からの販売ルートが確保されたといいます。うまい!!
                 
                すっかり「幻の米」と称される銘柄に変貌。JAを通して単なる石川米として販売していた頃は,キロ1万3000円だったのが,神子原米では一挙キロ4万2000円に。ブランドとして高く売れるようになると,生産農家にも変化が起きます。2007年には,農家が株式会社「神子の原」を設立し,年商1億円の規模にまで成長。

                当然,地域は潤いますよね。村が有名になり,潤うと“移住したい”という人が増えてくる。神子原に住んでみたい,神子原でカフェを営みたい,自然農法で野菜を育てたい‥‥等々,出ていく一方だった過疎の村にどんどん人がやって来るようになりました。ついには移住してきた家庭で,なんと村では18年ぶりの赤ちゃんが誕生。

                次に
                高野さんは,この「神子原米」で日本酒を作り,世界ブランドにすることを考えます。世界中で受け入れられる酒としてはやはりワインということで,ワイン酵母で日本酒を創る」という独創的なアイデアで,これも見事に大ヒット。今では“ワインのような日本酒”としてアラン・デュカスでも数量限定で供される,トップクラスの高級銘柄なのだとか。


                以上,
                何事も成せばなる,ということを改めて教えられ,勇気づけられた番組でありました。進行役の林修さんは「人の役に立つのが役人だ「生きるヒントとして環境に不満を言わないことを学んだ」と語っておりました。

                私の
                見るところ,高野さんの凄いところは,次の点でしょう。

                まず何といっても,お坊さんらしく,私利私欲からではなく,村の再建のために無心で取り組んだ姿勢既存の考え方に捉われず,補助金JA依存を断ち切った決断ユニークグローバルで,かつロマンに満ちた着想科学的・合理的に物事の本質を捉える洞察力そして,不遇や猛反発からも逃げず,トライ・アンド・エラーを繰り返し,初心を貫いた実行力

                そんな中で,私が特に感銘を受けたのは,その手法です。会議はやらない企画書も作らない,上司には全て事後報告でスピード化,予算は60万円でいいという,型破りの進め方。時と場合によっては,こんな「方便」も必要だということ。

                その
                一方で,中長期的な視点から,基本に忠実な取り組も忘れてはいません。神子原米の品質維持のために行っている,人工衛星による食味測定。高度450kmの上空から近赤外線を当てて,水田内の稲の反射率と吸収率を測定し,タンパク質含有率を計算で割り出す仕組み。一般的に,タンパク質の含有率が6%未満だと食味が良いとされるので,水田区画のどの部分が6%未満に相当するのか,パソコン画面に表示して把握しているのだといいます。実に合理的です。

                んな高野さんの熱意と考え方が,村民の共感とやる気を育み,滅びゆく村を立て直すという奇跡につながったのでしょうね。2009年に神子原地区は,見事に限界集落から脱出しました。

                おついでながら,林修さんは,後日談として次のようなエピソードも紹介。耕作放棄地をどのようにすればよいか」との,農林省の役人からの質問に対する高野さんの回答。

                「耕作放棄地が問題だとする考え方そのものがおかしい。前年まで農薬や化学肥料を使っていた田畑では自然栽培ができない。4〜5年耕作を放棄していた田畑こそ,残留農薬や化学肥料もなくなっていから,腐らない健康な農産物を作るのに理想的な土地。輸出用農産物としても最適地。TPPに勝てる唯一の方法は自然栽培だ」と。

                素晴らしい見解,洞察力ですね!!


                 

                平成25年度の物故者に哀悼の意を表します

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                  また,1年の周期が終わりました

                  年末・年始といっても,人間が勝手に区切りをつけただけのことで,大自然のサイクルがただ無表情に,淡々と流れているだけ‥‥,と頭の中では分かっていても,限りある寿命を持つ生身の私たち。また一つ歳をとるのだと思うと,毎年のことながら,感無量であります。そして,ついつい,来る年が良い年であることを願わざるを得ません。

                  平成25年も,各界で活躍した多くの方が鬼籍に入りました。いつの時代でも,私たち一人ひとりの愛惜の思い通じるはずもなく,人の住む世にはいつも「無常」の風が吹き抜けます。

                  亡くなられた方々を振り返ってみると,何らかの形で知っている人が,年々多くなっていことに今更ながら気付かされます。それだけ,自分自身が齢(よわい)を重ねてきたということなのでしょうね。

                  ここに,私の記憶に強く残っている方の芳名を記して,その存命中の活躍を偲びたいと思います。そして,移りゆく時の流れを噛みしめつつ,心から哀悼の意を表すものであります。

                  なおついでながら,そのうち大鵬幸喜さんについては,平成25年1月23日の本ブログ『私が選んだ相撲史に残る「大鵬10番勝負」』で,市川団十郎さんについては,2月5日の『団十郎逝く  庶民の歌舞伎は永遠に』で,そしてやなせたかしさんについては,10月20日の『アンパンマンをありがとう!』において採り上げました。

                  【1月15日 大島 渚(80)】
                  映画監督。60年『青春残酷物語』がヒット。松竹ヌーベルバーグの一翼を担った。独立後,75年に日仏合作『愛のコリーダ』83年に日英合作『戦場のメリークリスマス』を制作。国際的に知られる実力は監督となった。

                  【1月19日 納谷 幸喜(72)】
                  大相撲元横綱大鵬。61年,横綱に昇進。ライバルの柏戸とともに「柏鵬時代」の黄金期を築いた。歴代最多の32回優勝を誇り,昭和の高度成長期を代表する国民的ヒーローに。子供が好きなものを並べた「巨人,大鵬,卵焼き」は流行語になった。

                  【1月26日 安岡 章太郎(92)】
                  作家。53年に『悪い仲間』『陰気な愉しみ』で芥川賞を受賞。吉行淳之介,遠藤周作らとともに,先行世代の「戦後派」に対し「第三の新人」と呼ばれた。代表作に『海辺の光景』など。

                  【1月30日 加藤 寛(86)】
                  慶応大名誉教授。政府税制調査会長を務め,旧国鉄や電電公社などの民営化を推進。行財政改革を理論面でリードした。

                  【2月3日 市川 団十郎(66)】
                  歌舞伎役者。38歳で市川宗家の十二代目団十郎を襲名。歌舞伎十八番」で弁慶や助六をはじめ豪快な荒事をおおらかに演じる一方,世話物や新歌舞伎でも幅広い役を得意とした。07年のパリ講演など海外でも評価された。

                  【2月8日 江副 浩正(76)】
                  元リクルート会長。就職情報誌のヒットで名を馳せたが,88年に発覚した未公開株を巡る疑獄「リクルート事件」で有罪が確定した。

                  【2月14日 本郷 功次郎(74)】
                  俳優。78年からテレビドラマ『特捜最前線』で刑事役を9年間務め,人気に。時代劇にもしゅっ園するなど,二枚目俳優として親しまれた。

                  【2月22日 光本 幸子(69)】
                  女優。映画『男はつらいよ』のシリーズ第1作(69年)で,主人公の寅さんが思いを寄せる初代マドンナ役を演じた。

                  【2月26日 大塚 道子(82)】
                  女優,劇団俳優座代表。48年入団『三人姉妹』『放浪記』などの舞台のほか,テレビドラマや映画にも多数出演した。

                  【3月5日 納谷 悟朗(83)】
                  俳優,声優。アニメ『ルパン3世』銭形警部をはじめ,『宇宙戦艦ヤマト』の沖田艦長の声などを担当。低く渋い声で人気を集めた。

                  【3月9日 石坂 まさを(71)】
                  作詞家。藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』『女のブルース』の歌詞を手掛けた。ほかに小林旭の『北へ』など。

                  【3月27日 坂口 良子(57)】
                  女優。『池中玄太80キロ』『前略おふくろ様』などテレビドラマで活躍。映画,舞台にも出演し,明るい笑顔と雰囲気で親しまれた。

                  【4月14日 三国 連太郎(90)】
                  俳優。51年に木下恵介監督『善魔』でデビュー。迫力のある風貌で人気となり,65年の『飢餓海峡』68年の『神々の深き欲望』の名演技か評価された。88年からの『釣りバカ日誌』シリーズでは,ユーモアあふれる会社経営者の「スーさん」役で親しまれた。

                  【4月25日 田端 義夫(94)】
                  演歌歌手。39年デビュー『大利根月夜』『分れ船』などヒットを連発した。62年に『島育ち』でカムバック。「オース!」のあいさつと哀愁に満ちた歌声でファンを魅了し「バタやん」の愛称で親しまれた。

                  【4月27日 佐野 洋(84)】
                  推理作家。59年『一本の船』を発表。社会派推理小説の書き手として注目された。主著に『華麗なる醜聞』など。評論でも活躍した。

                  【4月29日 牧 伸二(78)】
                  ウクレレ漫談家。60年,ラジオ番組『ウクレレ週刊誌』の司会を担当。「あーあ,やんなっちゃった」の歌と社会風刺で人気を得た。

                  【5月3日 中坊 公平(83)】
                  日弁連元会長,整理回収機構初代社長。森永ヒ素ミルク事件豊田商事事件,香川・豊島の産廃問題などで被害者救済に尽力した。

                  【5月6日 河竹 登志夫(88)】
                  演劇評論家。日本の伝統演劇を西洋演劇と対比する比較演劇学を開拓『歌舞伎美論』『新版歌舞伎』など著書多数。

                  【5月7日 五十嵐 広三(87)】
                  元官房長官。自民,社会,さきがけの3党連立による村山内閣を官房長官として支え,被爆者援護法制定などの戦後処理に尽くした。

                  【5月11日 夏八木 勲(73)】
                  俳優。野性味あふれる豪快な演技で,映画やドラマの名脇役として活躍した。主な出演作に『戦国自衛隊』『希望の国』など。

                  【5月13日 瀬戸 雄三(83)】
                  アサヒビール元社長。主力商品「スーパードライ」を育て,98年にビール出荷量でキリンビールを抜き業界トップ企業にした。

                  【5月23日 茂山 千作(93)】
                  狂言師。おおらかな芸風と人柄で親しまれ,新劇俳優との共演など業界のタブーに風穴をあけた。07年に狂言界初の文化勲章を受けた。

                  【6月4日 長門 勇(81)】
                  俳優。テレビドラマ『三匹の侍』や横溝正史原作ドラマなどに出演。人間味のあるとぼけた演技で視聴者を楽しませた。

                  【6月6日 なだ いなだ(83)】
                  作家,医師。ユーモアと風刺に富んだ作風で幅広い文筆活動を展開した。著書に『パパのおくりもの』『老人党宣言』など。

                  【6月13日 内海 賢二(75)】
                  声優。アニメ『Drスランプ アラレちゃん』の則巻千兵衛,『北斗の拳』のラオウなど,人気役の声を数多く担当した。

                  【6月13日 尾崎 行雄(68)】
                  プロ野球元東映,日拓(現日本ハム)投手。高校を中退して17歳で入団。剛速球を武器にプロ1年目で20勝を挙げ「怪童」と呼ばれた。

                  【6月23日 吉永 祐介(81)】
                  元検事総長。76年のロッキード事件で主任検事を務め,89年にはリクルート事件を陣頭指揮して「特捜の鬼」の異名をとった。

                  【7月9日 吉田 正郎(58)】
                  東京電力執行役員。11年,福島第1原発事故の発生直後から,所長として収束のための対応作業を現場で陣頭指揮した。

                  【7月31日 平山 亨(84)】
                  東映元プロデューサー。71年に『仮面ライダー』が大ヒット。『秘密戦隊ゴレンジャー』など多くの特撮ヒーロー番組を手掛けた。

                  【8月6日 森 浩一(85)】
                  考古学者。大和中心の中央集権的歴史観にこだわらず,地域固有の事情を重視した地域学を提唱。考古学ブームの牽引役になった。

                  【8月22日 藤 圭子(62)】
                  歌手。69年『新宿の女』でデビュー。70年の『圭子の夢は夜ひらく』が大ヒットした。不幸な人生に恨みをぶつけるような歌声は「怨歌」とも評された。歌手の宇多田ヒカルの母として若者にも知られた。

                  【8月24日 谷川 健一(92)】
                  民俗学者。歴史の負の情念に着目。霊魂や死生をめぐる観念を軸に「谷川民俗学」とも呼ばれる独自の研究を打ち立てた。

                  【8月24日 土橋 正幸(77)】
                  プロ野球元投手,監督。55年に東映(現日本ハム)に入団し,通算163勝を記録。監督としてヤクルト,日本ハムを率いた。

                  【9月17日 豊田 英二(100)】
                  トヨタ自動車最高顧問。55年発売の「クラウン」の開発に取り組んで発展の基礎を築き,82年にはトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の「工販合併」を実現。同社を世界ブランドに育て上げた。

                  【9月29日 山崎 豊子(88)】
                  作家。新聞記者の傍ら小説を執筆。58年『花のれん』で直木賞を受賞。中国残留孤児の半生をを描く『大地の子』医学界の暗部をえぐる『白い巨塔』など,社会問題を迫力ある人間ドラマに描き上げ,読者をとらえた。

                  【10月3日 中村 昌枝(80)】
                  バレーボール女子日本代表チーム元主将。6年東京五輪では旧ソ連を破って金メダルを獲得。チームは「東洋の魔女」と呼ばれた。

                  【10月13日 小沢 辰夫(96)】
                  元厚相。自民党の故田中角栄元首相の側近として知られ,番頭格の旧田中派事務総長を務めた。60年衆院選で初当選以来,当選13回。

                  【10月13日 やなせ たかし(94)】
                  漫画家。69年に童話で登場させたキャラクターを元にした『アンパンマン』が人気絵本シリーズに。88年にアニメ化され,幼児から大人まで幅広い年齢層に受け入れられた『手のひらを太陽に』の作詞も手掛けた。

                  【10月25日 岩谷 時子(97)】
                  作詞家。越路吹雪の『愛の賛歌』をはじめ,加山雄三の『君といつまでも』など数多くのヒット曲を手掛けた。

                  【10月28日 川上 哲治(93)】
                  プロ野球巨人元選手,監督。38年入団。鋭い打球は「弾丸ライナー」という言葉を生み,打撃の神様の異名をとった。監督としては,65〜〜73年,9年連続でリーグ優勝と日本一に輝き,史上最多記録をつくった。

                  【11月8日 島倉 千代子(75)】
                  歌手。55年『この世の花』でデビュー。57年の『東京だョおっ母さん』87年の『人生いろいろ』など数多くのヒット曲で知られ,ファンに「お千代さん」と親しまれた。私生活でも多額の借金など話題を振りまいた。

                  【11月25日 堤 清二(86)】
                  セゾン文化財団理事長,作家,詩人。実業家としては「セゾングループ」を築き,大衆消費社会のシンボル的存在に。文芸では辻井喬の名で活動。小説『父の肖像』で野間文芸賞,詩で高見順賞を受賞した。

                  【11月27日 昇地 三郎(107)】
                  知的障害児教育施設「しいのみ学園」創設者。54年,当時先駆的だった同学園を私財を投じて福岡市にむ創設した。

                  【12月7日 すま けい(78)】
                  俳優。60年代に小劇場で活躍「アングラの帝王」と呼ばれた。舞台の『父と暮せば』など独特の存在感で知られた。


                  以上,数えてみると44名(昨年は40名)。合掌‥‥。


                  【追記】

                  外国人のため「番外」となりますが,絶対に忘れてはいけない人をここに追記いたします。12月5日に逝去した南アフリカのネルソン・マンデラ氏。

                  12月13日付本ブログネルソン・マンデラ…愛と平和と不屈の指導者!』にて詳述いたしました。参照いただければ幸いです。




                  安倍首相の靖国神社参拝の波紋

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                    26日の安倍首相靖国神社参拝の波紋が広がっています。

                    過去に何度も話題に上り,もう議論し尽くされた問題ですので,今更という感がしないでもありませんが,突然決行されことに,誰もが戸惑いと不安を隠せないようです。

                    今回の靖国参拝がより深刻なのは,首相が同盟関係の強化を目指してきたはずのアメリカ「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに,米国政府は失望している(在日大使館声明)と,異例の強い調子でを批判していることです。

                    総理を支える自民党内部からも,参拝に強い不快感を示したアメリカとの関係悪化を懸念する声が出ています。「今回のことで中国・韓国よりもアメリカとの関係が悪化することが心配だ」(自民・派閥幹部)と。アメリカ側の「失望している」という反応がどこまで本気なのか,政府与党でさえその真意をつかみきれていないようです。

                    中国・韓国はもとより,アメリカに続いて欧州連合(EU)ユダヤ系団体なども非難。静観姿勢の東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国も日中のトラブルを嫌って反発。参拝は国際社会の理解を得られず,安倍政権は孤立を深めている状況です。

                    中韓両国に加え,米国との関係悪化の先に見えてくるのは,日本の外交的な孤立にほかなりません。

                    何故こんなことが唐突に行われたのか。

                    首相は記者団に,「この一年の安倍政権の歩みを報告し,再び戦争の惨禍で人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓いを伝えるために,この日を選んだ」と述べています。

                    第1次内閣の時,靖国神社に参拝しなかったことを「痛恨の極み」としていた首相。再び首相に就いてからも,春と秋の例大祭,8月15日の終戦記念日という節目での参拝を見送った。そこで,第2次内閣発足1年目に当たる26日,満を持して積年の思いを遂げたということなのでしょうね

                    一般的に言って,国の戦争に駆り出され,戦場に散ることを余儀なくされた戦死者に対し,その国の指導者が哀悼の誠を捧げることは当然の責務といえます。もちろん私たち国民も,
                    自由意思に基づいて靖国神社を参拝することは何ら問題がないでしょう。

                    しかし一番の問題点は,よく言われるように,現在の靖国神社には
                    戦争犯罪人(A級戦犯)が合祀されていること。A級戦犯とは,アメリカなどの戦勝国が設置した極東国際軍事裁判(東京裁判)において裁定されたもの。確かに,戦勝国が敗戦国を裁くことが許されるのかという疑問は残りますが,だからといって,旧日本軍中国を侵略し,韓国を植民地支配したしという歴史的事実は,否定することができません。

                    中国・韓国等の近隣諸国から,戦争指導者をも讃える行為だと受け取られ,激しい反発を招くのもやむを得ないこと。これでは,いくら首相が「不戦の誓い」と述べても,真の慰霊にはならない。また,私人としての行為と釈明しても,一国の首相の行為が公人のそれとみられることも仕方がない。

                    更に,このような首相の参拝は,「政教分離」政治と宗教の分離)を掲げる憲法に違反するとの指摘もあります。また日本軍の一員として戦争に駆り出され戦死した,多くの台湾人・朝鮮人が祀られていなという問題も抱えています。

                    従って,今のままの靖国神社に首相が参拝するべきではな,と言わざるを得ません。

                    メディア上でも,多くの識者が同様の危惧を訴えています。

                    以上のような理由から,天皇陛下も参拝を見合わせているといいます。

                    少しでも早く,靖国神社を本来の形に直して,総理はもとより天皇陛下,政治家が自然に参拝できるよう改めるべきでしょうね。A級戦犯の分祀千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充,新たな国立追悼施設造営など,これまでもいろいろなアイデアが検討されてきました。そのような,国内・海外を問わず,誰もがわだかまりなく戦死者・戦没者を追悼できような施設・環境づくりこそ,最も望ましい解決策であります。

                    首相は昨年12月の衆院選に続き,今年7月の参院選でも圧勝。悲願だった国家安全保障会議(NSC)を設置,中長期の外交・防衛政策の指針となる国家安全保障戦略を策定するなど,安全保障政策の見直しを着々と進めています。その文脈上で,特定秘密保護法も成立させました「戦争できる国家」を目指していると言ってよいでしょうね。

                    首相が,このような路線の上に立って,就任1年目の集大成として靖国参拝に踏み切っても,乗り切れると「慢心」したのだとしたら,これはもう私たち国民としては,見過ごすことはできませんね。



                    君島竜之介の風景画の世界

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                      昨年8月4日,本ブログで「孤高の画家 田村一村」と題して,その人物と作品の魅力に感動したお話をしましたが,確かその冒頭で次のように書き記しました。

                      『私は絵画に格別興味・関心を寄せる人間とは思っていませんが,とはいえ,胸の高鳴る強烈な感動を覚えたことが一度ならずあります。

                      なんといっても,個人的な好みから収集している 「君島竜之介」写実的な風景画。これには並々ならぬ思い入れがあるので,いずれ機会をみてこのブログにも採り上げ,詳説したいと考えています …… 』 と。

                      そのうち君島竜之介の絵の魅力について書かねば,と思いつつ,なかなかそれを成し得ないままうち過ごしてしまいました。実は,彼の作品は,私にとっては余りにも秀麗かつ鮮烈過ぎて,そのことを具体的に言い表す言葉が見つからない,もう少し煮詰まるまでと,思い悩んでいたというのが本音なのですが‥‥。

                      彼は1960年生まれですから,今年53歳。愛知県出身で岐阜市に在住。

                      絵の好きな両親の影響を受け,幼い頃より絵筆を持つ環境の中で育ったといいます。大学を卒業するや,ヨーロッパを旅行し,スペインの画家ザベルクと出会い感銘を受ける。そのままスペインに滞在し本格的に洋画活動を始めています。1987〜88年,スペイン国際フェア西ドイツ新美術展に出展するなど現地で活躍。

                      帰国後は,岐阜市に定住し,日本の各地を取材。日本の美を綿密に表現することに意欲的に取り組んでいます。

                      若くして,リアリズム大賞,芸術展入選,国際文化交流展入選,オリエント人気作家大賞,新作アーティスト大賞など,数々の受賞歴。銀座セリウスをはじめ,東京,京都,大阪,静岡,愛知,岐阜など各地で個展を開催。また,アルプラザ平和堂など百貨店でも展示会を開き,東海地区を中心に,幅広いファン層
                      の支持を受けています。

                      画風は,洋画と日本画を調和させた“新和洋”の世界に,を取り込んで独特の輝を描くという斬新なもの。油絵でありながら,他の追随を許さない精密なタッチは,ヨーロッパにおいても注目され,高い評価を受けています。

                      私が初めて彼の絵に出合ったのは,県内にあるアルプラザ平和堂の店舗内でした。こんな絵は観たことがない‥‥凝視したまま,思わずその場に30分ほど立ちすくんでしまいました。その時の強烈な印象は,今でも鮮明に記憶しております。

                      その時の絵がこれです。白川郷の合掌造り。構図といい,色彩といい,技法といい,その美しさに圧倒されました。



                      同じく,日本の原風景を描いたもの。これも,空,雲,山,新緑と田園風景が見事に調和しています。



                      単調な海の絵なのに,この人の手にかかると,まるで生き物のような躍動感に包まれます。陽の光が生き生きと描かれており,この神秘的な光景を観ているだけで,エネルギーが伝わってきて元気をもらいます。



                      日本の春。懐かしい風景。



                      日本の秋。紅葉。これも懐かしい風景で,私の好きな絵の一つです。



                      日本画の素養が感じられる,見事な構図。本物の木の枝を見ているようです。



                      閑散とした妻籠宿。このようなアングルの風景を描いたら天下一品でしょうね。



                      田舎の雪景色。実景ですが,幻想的です。



                      これも雪景色函館。まるでその場にいるような錯覚に陥ります。不思議な魅力です。



                      海外での作品も数多く,これはパリエッフェル塔



                      スペインの海岸。海と街のコントラストが絶妙で,青い海が実に鮮やか。まさに光の芸術です。



                      スイスの村。遠方にはアルプスの景観。日本とは一味違った自然の風景です。




                      以上。

                      私が保有しているこれらのものは,40歳代の作品と言えるでしょう。

                      現在では,ますますその筆致に磨きがかかって,更に円熟した傑作を世に出しているに違いありません。

                      この人が,近い将来,知らない人がいないくらい高名な画家として世に認められることを期待してやまない私であります。



                      金正恩の母親が横田めぐみさんという説にびっくり

                      0

                        今,北朝鮮に対して,世界の注目が集まっています。

                        北朝鮮という国については,いろいろな見方や説があって,信頼に足る情報源を持ち合わせていない私には,正直言って何が真実なのかよくわかりません。昨今の張成沢(チャンソンテク)粛清事件についても,ただただ随分思い切ったことをやる“異常な”国だなぁと,驚くばかりです。

                        そんな私ですが,つい最近,国際アナリスト・飯山一郎氏の『横田めぐみさんと金正恩』三五館)という書物を興味深く読みました。なんと,北朝鮮に拉致されたまま消息を絶っているあの横田めぐみさが,金正恩キムジョンウン)の母親として,健在どころか大変な地位についているのだという内容。





                        思わず,日頃私が毛嫌いしている“トンデモ本”の一種じゃなかろうか,とかなり躊躇したのですが,飯山一郎氏の名前に惹かれてついつい目を通してしまった次第。

                        ちなみに氏は,1946年生まれの元上海鉄道大学教授国際アナリストであると同時に,エコ推進実践家古代史研究者化学者株式売買指南役平和主義者‥‥と多彩な活動を誇っています。

                        1999年に自ら発明した「グルンバ・エンジン」による乳酸菌・発酵菌の大量培養法を確立。あの3.11の原発事故以降,“米のとぎ汁乳酸菌”を摂取すると免疫細胞(NK細胞)が増殖し放射線障害を予防できると主張。同調者が一挙に増え,一大乳酸菌ブームとなりました。「光合成細菌&乳酸菌」での放射能浄化にも期待がかけられているといいます。微粒子化による汚泥の消散処理プロセス』『有機物の生分解と発酵菌群よる腐敗臭の除去』という本格的な化学論文もあります。

                        しかし何より印象的なのは,金正恩という存在すら知られていなかった7年以上も前から「金正日の後継者は金正恩」と言い続け,それが見事に的中したという事実。ある意味,これは凄いことと言わざるを得ません。

                        そんなわけで,この人の話ならまんざら眉唾でもなさそうだとも思えるのですが,とはいっても,あまりにも信じ難い話なので,今でも半信半疑であります。

                        その真偽はいずれ歴史が証明してくれるに違いない。その時のために,何はともあれ氏の主張を記録しておくことも悪いことではないと思い立って,その要点をここに書き記すことといたしました。

                        ◆金正恩の絶望的なハンディ

                        金正恩が表舞台に登場する以前は,その母親は高英姫(コヨンヒ)と噂されていた。高英姫(故人)は金正日の3番目の側室で,その出自は済州島出身者の娘であり,在日朝鮮人。その上金正恩は,米国や韓国からは韓国の哨戒艦撃沈の犯人と目されていた。従ってそれが本当なら,彼が後継者になるには絶望的なハンディを背負っていたといえる。

                        それが何故,金正日の後継者に成り得たのか。

                        ◆金正恩の出生の不思議

                        金正恩はその顔さえも知られていない完璧に謎の人物だった。20数年間も“極秘中の極秘”にされてきた。実は,高英姫の子供ではなく,4番目の側室金玉(キムオク)の子でもない。

                        金正日の後継者が誰か,世界は知らなかったが,実際には,金正恩が生まれた時から世襲が約束されていた。生まれた直後から特別教育を受け,その存在からして絶対秘密とされてきた。

                        ◆金正恩は“神格化”された存在

                        彼がデビューしたのは,2010年9月末。しかし中国の胡錦濤主席は,それ以前の5月に既に彼の“世襲”を認めていた。もちろん中国は,ことの真相を知っていた。この26〜7歳の青年には神がかり的な自信実力が身についており,中国も異常なほどの気の遣いようだった。

                        ◆北朝鮮の国家体制の変貌

                        北朝鮮は,2010年9月28日の朝鮮労働党代表者会において労働党規約を改正し,共産主義国家ではなくなった。つまり,建国の父金日成(キムイルソン)を党と革命の永遠の領袖と規定する「永遠の金日成の国家」ともいうべき「金王朝」に移行した。

                        その目指す国家体制は,ゞ眛成の国家(万世一系の壇君神話) ▲船Д船А兵臑痢忙彖(一種の天皇機関説) 6盛大国(一種の大東亜共栄思想) だ莊垣治(軍事大国)。要するに,古い“大日本帝国”の復活ということ。

                        これを指導したのが他ならぬ金正恩であり,胡錦濤の中国が全面支持した。

                        ◆金正恩の本質

                        金正恩こそが,「先軍政治=軍国主義・北朝鮮」の“大本営”であり,ウルトラ軍国主義者。2010年10月10日の大規模閲兵式で公開された潜水艦発射型核ミサイル「ムスダン」は,彼の指導で製造されたもの。これを閲兵する父・金正日の敬礼はシロウトのそれであったが,金正恩の敬礼はビシッと音の出るようなまさに生来のプロ軍人そのもの。自信とオーラに溢れていた。

                        すべて,彼の生まからきている。では,金正恩の母親は誰なのか。

                        ◆横田めぐみさんの動向

                        金正恩の誕生日は,1982年,1983年,1984年と3説あるが,金正日の料理人として仕えた藤本健二氏の話から,1983年1月8日と考えられる。

                        北朝鮮側は,横田めぐみさんが1984年まで李恩恵(リウネ)こと田口八重子さんと拉致者収容所で同居していたと説明しているが,これは嘘。大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫(キムヒョンヒ)が,自分は81年7月から83年3月まで田口八重子さんと同居していたと証言しており,韓国の公安当局から追認されている。同居の目的は,工作員として田口八重子さんから日本語を学ぶため。

                        逆に,めぐみさんがこの頃に超高級デパートで買い物をするなど,優雅な生活をしていたとの目撃談がある。北朝鮮側としては,この時期,めぐみさんが拉致収容所にいたことにしたかったのだろうが,事実は違っており,拉致されためぐみさんは79年秋から84年秋までフリーであった。

                        実はこの間,めぐみさんは田口八重子さんや工作員の金淑姫(キムスクヒ)と同居生活をしていた。

                        ◆金正日と横田めぐみさんの出会い

                        大韓航空機爆破事件の指導と総指揮は,当時既に金日成の後継者に指名されていた朝鮮労働党書記の金正日が執った。その目的は,大韓航空機の原因不明の空中分解によって韓国政府の国際社会における信頼低下を引き起こし,翌年にソウルで行われるソウルオリンピックの妨害を行うため。そのため日本人工作員が必要となり,田口八重子さんや横田めぐみさんが拉致されることになった。


                        金正日をリーダーとする爆破作戦チームが,81年初夏から83年3月にかけて(金賢姫の証言),東北里3号招待所と呼ばれる極秘施設において連日連夜,日本人化教育日本人父娘を擬装する訓練を行った。ここで,田口八重子さんが金賢姫に対し,横田めぐみさんが金淑姫に対して,各々日本人教育に精を出した。82年4月,金賢姫が朝鮮労働党に入党しここを去ると,残ったのはめぐみさんと金正日と金淑姫。

                        工作員達の世界(裏社会)では,金正日とめぐみさんは事実上の夫婦だった。ここでめぐみさんは82年4月頃,金正恩を懐妊した。

                        1987年11月29日に大韓航空機爆破事件が起き,めぐみさんは「重要参考人」の一人となり,世に出ることができなくなってしまった。


                        ◆中国政府と北朝鮮

                        中国は,60年も前の朝鮮戦争以来,北朝鮮を支援することを使命としてきた。そして5年も前から,(金正恩への個人的感情ではなく)金正恩の体制を国家的事業として支援している。

                        中国と金正恩の朝鮮は,ウインウインの関係。金正恩は中国に守られながら,北朝鮮の国家利益を追求してゆくだろう。胡錦濤から習近平に大権が移行しても引き継がれていく。金正恩の朝鮮は,堅固であること極まりなのである。

                        そんな中で横田めぐみさんは,いわば“皇后陛下”であり,隠然とした力を持つに至ったとみられる。


                        以上。

                        これが,フィクション・妄想なのか,それとも事実なのか。前述したように,いずれ時が経てばはっきりすることでしょうね。

                        事実だとしたら,北朝鮮側の横田めぐみさんの真相を徹底的に隠そうとする姿勢がよく理解できます。

                        それにしても,よくできた話なので,感心いたします。

                         


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                        団塊の世代に属す。居住は石川県。宇宙,自然,生物,人生,社会,歴史,世界遺産,縄文文化,仏教,武士道,政治,経済,国家の統治,企業のガバナンス,経営管理,古典芸能,映画,音楽,写真,食べ歩き,旅行,家庭菜園,ウオーキング,断捨離,掃除 ‥‥,等々生来の好奇心は尽きることなし。雑食系人間なので,食べる物は分野・種類を選ばず。最近は健康維持のためノルディック・ウオークに勤しんでいる。

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